あっち世界ゾ〜ン・第参拾八「怨夢」

いたこ28号談



「鍵が八個も付いているんですよ」

吉本(仮名)のアルバイト先にあった個室の洋式トイレは異常だった。

「それだけでも気持ち悪いのに、マトモに取り付けられた鍵がないんだから。」

それらはひん曲がっていたり、釘が滅茶苦茶に打ち付けられていたり

まともな神経の持ち主が取り付けたものとは到底思えなかった。

「皆気味悪がっていましたよ。でも僕はそこが気に入っていたんです。」

雑居ビルの五階に彼が働くオフィスがあったが、

そのトイレがある七階のフロアは空き部屋だ。

なおさら使う人がなく、必ず空いていた。

「たとえ十分でも眠ると、仕事がはかどるんですよね。」

誰からも邪魔をされず仮眠をとるのには丁度よかったという。

少し暖かい便座に座るといつの間にかまどろんだ。

暗闇を無限に落ちて行く夢を必ず見るようになった。

それは不快では無いが気持ちの良いものでもない。

彼にとってはそこで眠る事を止める理由に値するほどの事でもなかった。

ある日小さな異常に気づいた。

白い便座に一滴の血が落ちていた。

「なんで鼻血が出たんだろう?ぐらいにか考えませんでしたけど」

その後も何度か一滴の血が落ちている事が続いた。

眠る行為は日に日に時間と回数が増えていった。

嫌な夢を見た。

暗闇に落ちていく彼の頭上に全身紫色の男が現れ、

ニヤニヤ笑いながら頭を何度も踏みつけるのだ。

「知らない男なんですが、でも知ってるような・・・・」

休日でもビルに忍び込み眠るようになった。

「あの頃は完全に狂ってましたね。今だから笑えるんだけど」

異常だと分かっていた。でも止められなかった。

業務にも支障をきたすようになり、アルバイトを首になった。

「でもね、我慢できなくて。これで好きなだけ眠れるって思っちゃって」

次の日も吉田はトイレで眠っていた。

また紫の男が頭を踏みつける嫌な夢を見ていた。

男の口から何度も続く不快な擬音とドロドロした液体が彼の頭に浴びせられた。

耐え難い悪臭で目が覚めた。

床と便座と膝の上には大量の汚物と血が混じった液体が垂れていた。

そして目の前には汚物で汚れたグレーのズボンが揺れていた。

見上げると覆い被さるように知らない男が上から覗き込んでいる。

首が伸びた男の口からは長い舌が出ていた。

あんな狭い場所で、それもあんな高さでの首吊り自殺・・・

「足が付くんですよ。それをわざわざ膝を曲げてまでして自殺を図るとは。」

男はこの雑居ビルには関わりが全く無い四十代の会社員だった。

「薬物検査までさせられましたよ。異常な状態での第一発見者ですからね。」

最終的には事件性なしと半ば強引に判断がなされ処理されたようだ。

後日知るのだがあの会社員で4人目だった。

「会社の人たちは知っていたんだよね。だから私のことを心配して首にしたようですよ。

詳しい事情は最後まで教えてもらえなかったけど」

両親に無理やり故郷の四国に帰郷させられた。

「命は持っていかれなかったんだけど・・・」

あの事件の後、なぜか全く夢を見なくなったという。

「いたこ(仮名)さん。あの紫の男はなんだと思います?」

「死神」なのではと冗談ぽく答えようと思ったのだが・・・

私は霊感がないただの実話怪談談収集マニアなので分からないと答えた。

深く関わると怖そうだから。

雑居ビルはバブル時に取り壊され、今では巨大なオフィスビルに変わっている。




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