あっちの世界ゾ〜ン第七十五夜「新聞ありがとう」

中年少年Aさん談


僕の友人で美容と健康を兼ねて、長い間新聞配達をしている奴がいます。

思うのですが、このアルバイト、霊感体質の人には向いていないみたいです。

なにしろ、街に出るのは、宇宙人が闇に隠れて地球侵略の工作をし、吸血鬼が食事を終え、

妖怪たちが墓場で運動会をした、ちょうどその後片付けの時間帯だからです。

…お互いが意識していなくても出会い頭ってありますよね。きっと…。


友人の体験した話は、毎日配っている百数十件の家の中の、

ある一軒で奇妙な出来事があったことから始まります。

ただし、今、その家を特定するのはやめておきます。 

さて、何が奇妙かというと、その家ではある日を境にして、新聞を玄関脇の

差込口から半分ほど突っ込むと、向こうからするりと引っ張り込むようになったのです。

それが、あまりにもタイミングがよく、まるで、玄関の向こうでいつも新聞の来るのを待っているようでした。

ただ不思議なのは、外は街灯の明かりで自分の手元もはっきり見えるのですが、

家の中に明かりが全然ないということです。

暗闇の中で、ずっと待っているのかな。

友人は、そうも考えましたが、毎日の配達時間もこちらの都合によって変わることもあります。

それを辛抱強く待っているなんて人がいるでしょうか。

とにかく、一軒の家の事情について、これ以上あれこれ考えるひまもありません。

そのことに慣れてしまうと、別にそれも不思議と思うこともなく、数日が過ぎました。

それにしても、新聞配達という仕事は、毎日毎日同じ道を走り、同じ家に新聞を配る。

単調に見えるのですが、だからといって頭をからっぽにしていると、たちまち不配してしまうのです。

人間はどうしてもロボットのようにプログラムどおりには動かない、ということでしょう。

ところで、同じ作業の中に、ちょっとした変化を求めたいときもあるものです。

特に、このような仕事では、それぞれの家の表情は、まるで自分の家のように分かっても、

そこに住む人の顔かたちまでもが想像できるものではありません。

たとえば、無性にその家の人と、コミュニケーションを取りたいと思うときがあったりするのです。

その日が、ちょうどそんな気分のときでした。

お互いが差込口を隔てて、新聞を手にし合うときに、挨拶もないのはおかしいだろう。

友人は、ふと思ったといいます。

新聞を差し込んだとき、やはり、待っていたかのようにそれを引っ張り込もうとする力が感じられました。

その時、彼は小さな声で言ったのです。

「おはようございます。」

すると、戸の向こうから、とても静かな声が聞こえてきました。

「新聞ありがとう。」と…。



業務の後で、ちょっとした好奇心から、彼はそのことを新聞店の店長に話しました。

「○丁目の××さんて、どんな人なんですか?」

すると、店長は怪訝そうな顔をしています。

その表情は予想外のものでした。 

「君、あそこの家は今月で止めだといったろう。」

「えっ、」

店長の言ってることが、理解できません。

「でも、まだ配ってますよ。」

「今、挨拶したといっていたが、うそだろう?あそこは今、空家のはずだよ。」

「ええっ、そんな馬鹿な。」

「長くひいきにしてくれていた読者が事故でなくなったんだ。

何十年もずっと、うちの新聞を読んでくれていた読者だったので、わたしもお葬式に出た。」

「死んだ?でも…。」

そういえば、「忌中」という札が、しばらく貼ってあったような気もします。

店長はさらに続けました。

「奥さんと二人で住んでいたが、その後、奥さんのほうは家土地売って、田舎へ帰ったはずだ。

だから、今、そこは空家なんだ。」 

瞬間、ぞぞーっ、と全身から血の気が引き、すぐに今度は、彼の全身の毛穴から汗が一気に吹き出しました。

頭が、がんがんと痛みます。もはや、立っていられないほどの、熱だったそうです。

それから数日間、新聞配達はとうていできず、彼はベッドの上でうなされつづけました。

その間、実はずっと、部屋のドアを叩く音、「今日の新聞はまだか。」「早く持って来い。」という声を、

夢とも幻ともつかない意識の中で、聞き続けていたといいます。

家族は、よっぽどひどい風邪にかかったものと心配したそうですが、ほどなく彼は復活しました。


この友人は、今でも何事もなかったかのように、新聞配達を続けています。

ただ、もう二度とあの家には近づきたくないといっていました。

異界の者とのふれあい。

あの、「ありがとう」は、いったいなんだったのでしょう…。





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