第壱夜「小豆とぎ」いたこ28号談
何か不思議な話無い?と聞くと
デスクの真佐美さんが「小豆とぎ」の話でもいい?と。
「小豆洗い」ではという私に口を尖らせて「小豆とぎだよ」と笑う。
何か不思議な話無い?と聞くと
デスクの真佐美さんが「小豆とぎ」の話でもいい?と。
「小豆洗い」ではという私に口を尖らせて「小豆とぎだよ」と笑う。
皆様、こんにちは。また、書きに来ました。
今回は、私が小さな時に体験したお話を書きます。
どうもみなさんこんにちは。(昼間に職場より)UFOネタで
デビューした’けんさん’です。
家のPCがまだネットに未接続なのでこっそり会社から投稿してます。
(ビクビク..)
僕自身、全然恐くない話なんです。
恐いというよりもとても不思議な話です。
これは、私の父方の祖父のお話です。
もう随分昔の話です。(父がまだ小さい頃です。)
お疲れ様です。おかみです。
ふと思い出しましたドバイの話。
「こっち」でも書いたですが、ドバイに行ったですよ。去年の11月の終わりに。
そいで、「砂漠ラリー」っていうオプション・ツアーがあって、それに行ったです。
今日犬の散歩中に起こった出来事なんですけど。
うちの近所には高速の下に運河が通っている所があって、
その運河沿いには遊歩道があるんです。
そこを散歩ルートにしているんですが。
犬を連れてぽてぽて歩いてると背後に気配が。
その直後にカンカラカン★なんていう缶が転がってるような音が
遠くでしたので『誰かいるのか~』なんて、のん気に思ってたら
そのカンカラカンと言う音がどんどん近づいてくるのです。
ものすごいスピードで!
しかもその音はどう考えても私の遥か頭上で鳴っている…。
あっという間にその音は私を追い越していきました。
高速でした音かなとも思ったんですがどう考えても私の
頭上でした音でした。(頭上は空しかなかった…)
一体何なんだろう…
何年も前のことである。
その日、朝から妻が頭痛がするというのだが、これまでの経験で
言えば、それは大抵おかしな出来事の起こる予兆であった。
久々の休日で、ゆっくりした午後をすごそうと思ったのも束の間のことである。
けたたましい電話の音と共に耳に届いたのは、
友人のKが交通事故に遭ったという知らせであった。
「とりあえず行ってみるよ」
と、そう妻に言い残して私はKのいる病院に急いだのである。
「おいおい、大丈夫か?」
Kの顔をのぞいた。
青ざめてはいるが、しっかりした顔つきをしている。
包帯で吊るした右足と、腕にした点滴の管が痛々しい。
だが、もう普通にしゃべれる。
「けっこう血が流れたらしい。このくらいですんでよかったよ。」
「ぶつけられたのか。」
「うん、…というか、弥太郎がついに俺のところへ来たのだ。」
「えっ」と、私はその言葉にはっとした。
と、同時に背筋に冷たいものが走るのを感じた。
実は日ごろKから冗談のように聞いていたことだったが、
彼は弥太郎に呪われた一族の末裔だったのである。
それは、一族が必ず受けなければならない「禊」(みそぎ)である、と彼は言う。
Kは自分は本当に運がよかったのだと、しきりにいった。
「とにかく、ちょっとでも歩けるようになったら、すぐに国に
帰らなければならない。弥太郎神社に行かなければ…。」
…と、ここまで書いたことによって、言霊が飛び、
私自身が弥太郎の祟りにあいはしないかと、ふと不安になっている。
少し、考える時間が要る。
ともあれ、長くなりそうなので、一度筆を置くことにする。
思い出していると気分が悪く眠れないので、少し長くなるが、書いておく。
弥太郎とは、Kの故郷の町の片隅にある、小さな神社の祭り神である。
(差障りがあるので場所は特定しない。)
近辺では、たとえば子供が駄々をこねたり、泣き続けたりすると、
親は今でも「弥太郎がくるぞ。」と、脅しつける。
すると、子供達はあまりの怖さにすぐに泣き止むと言う。
弥太郎という名は、親しみやすい愛称のようにも聞こえるが、「あざな」であって、
実は浮田弥太郎元家(この名も一部変更している。)という武士のことである。
戦国時代、毛利家の台頭によって、中国地方の隅々に
至るまで織田側との全面戦争の様相を呈していた時代である。
彼の故郷は寒村ではあったが、その例外ではない。
弥太郎元家は、織田側の前線指揮官でもあり、その地方の国主でもあった。
毛利家の勢力がもっとも中央と拮抗していたころである。
攻め手の激しさは尋常ではない。
弥太郎元家もよく耐え城を守ったが、結局負傷し敗退を余儀なくされた。
そして、身一つのようになって逃れたのが、現在神社のあるあたりである。
追っ手は執拗であった。
数人の農民が命をおどされ、逃げ場所を告げるよう迫られた。
弥太郎は、その声も手に取るように聞こえる藪の中で耐えていた。
が、しょせん農民である。命が惜しい。
声を出すのがはばかられた農民達は、
結局、その場所をあごでしゃくって教えてしまったのである。
つまり、彼等は自分達の領主を売ったのだ。
弥太郎は脚気を患っていて、逃げる身も思うようにまかせない。
たちまち捕らえられて、首をはねられ、晒された。
その時、自分の不自由な足を恨み、
村を呪って、怨念はその地に取り憑いたのである。
現在、そこにある弥太郎神社は、そのせいもあってか、
足の病気や怪我に霊験あらたかな場所として、
同じ苦しみを持った近場の人々がお参りにやって来ている。
そして、病気などが全快した人々は、
そこに松葉杖や車椅子を奉納して、弥太郎に感謝するのである。
小さな祠の前はそれらの物が山のように積み上げて祭られているという。
そこはよそ者にとっては、
小さな町の人々に親しまれた小さな神社にしかすぎない。
が、当事者の子孫達には今だそんななまやさしいものではないのだ。
まず、あごでしゃくって意思表示をした人々は、
その後死ぬまで言葉がしゃべれなくなったという。
しかも、その子孫からは、口の不自由な子が次々と生まれてきた。
村人は、常に口を閉ざし、村からは永久に笑い声が消えた。
Kは、墨汁を流したように怨念のよどんだ、
深閑として底冷えのするその村で、彼らの子孫として生まれたのである。
彼の父親は彼が物心ついたときから常に語ってきた。
じいさんは、戦争で足を無くした。
お前のおじさんは、谷底へ落ちて左足が曲がってしまって歩けない。
私は若い頃、機械にはさまれて
このとおり足の指を全部もっていかれてしまった。
お前も、いつか受け入れなければならないのだ。
ひょっとしたら、死んでしまうかもしれない。だが、それも運命なのだ。
弥太郎様は必ず来る。お前に会いに来る。
それまで、できるだけ善行を積んでおくことだ…と。
二回目に同じ病室にKを尋ねたときである。
「おい、病室の外で聞こえないか。鎧のかち合う音が…。」
前回よりもずっと暗い顔をしたKが、神経質な声で聞いてきた。
「聞こえんな。」
「実は、ずっと聞こえるんだ。弥太郎がすぐ外にいるに違いない。
考えてみれば、弥太郎の祟りがこんな生易しいものとは思えない。
こんなのはかずり傷だ。」
「馬鹿な。」
「おやじがいった。弥太郎様が来ると。
俺は、まだ弥太郎を見ていない。弥太郎とまだ会っていないんだ。」
…Kと話を交わしたのは、実はこれが最後である。
その後すぐに治療もそこそこにして病室を引き払い、私や周りの付き合いの
ある者達になんの挨拶もないまま、家族を連れて田舎に帰ってしまったらしい。
なんでも、病室で一度刃物を持って、自分の足を傷つけるような
事件を起こしたことがあると聞いたが、噂にしか過ぎない。
弥太郎神社の風景は心象として私の中にあるが、実際に見たことはない。
Kがその後どのような人生を送っているのかも、強いて確かめようとも思わない。
その土地へ行く時間もないし、怖くもある。
ただ、向こうからはまったく連絡がない。そのままである。
その後、彼自身の松葉杖を弥太郎神社に奉納できたのならいいのだが…。
あの日、実は、私は鎧の擦れるような音を聞いている。
ただ最初は近くの工事現場の音かと思っていた。
後で見てみると、その病院の付近で工事をしている所などないのである。
そう言えば、病院からの帰り道、夏だと言うのに我慢できない
寒気が襲って来たのを、今でも昨日のことのように私は覚えている。