あっち世界ゾ〜ン・第参拾壱「家訓」

いたこ28号談



河内(仮名)は必ず学生寮の自分の部屋に入る時、彼女の名前を呼んでから扉を開けていました。

彼女名前は「さくら」。

彼女と言っても人間ではなく、河内が飼っている・・いや、正しく言えば

彼の部屋を勝手にマイホームにしているメス猫の名前です。

彼女は河内が寮に入る前から寮に住んでいました。

以前彼女は特定の部屋に住んでるわけではありませんでした。

寮に出入りしている彼女に学生達はなんとなく餌を与えていたそうです。

なぜ彼女に気に入られたのか河内には分からなかったのですが

彼女は河内の部屋を自分のメインの住処に決めたようでした。

河内は子供の頃、猫を飼っていたこともあって、

彼女と一緒に住むことに関してはさほど抵抗はありませんでした。


私は河内の部屋に遊びに行くたびに、彼が部屋の扉を開ける前に必ず彼女の名前を呼ぶ事に

不思議な違和感を感じていましたが、いつのまにか、彼の日常の一コマに成っていきました。


あるサークルの打ち上げが終わった後、いつものように私は河内の寮で飲み直すことになりました。

寮のトイレは共同で、廊下の突き当たりにあります。

河内はトイレに行きたいので先に部屋に入っていてくれと私に部屋のカギを渡しました。

河内の部屋はトイレとは逆方向の廊下の突当たりにありました。

少し酔いが回っている私はふらふらと彼の部屋まで歩いていき

ちょっとひん曲がったドアのノブの鍵穴にキーを差し込みました。


ド!ド!ド!ド!ド!ド!ド!ド!ド!


薄暗い廊下の向こう側から、ものすごい勢いで男が走って来ました。

河内でした。

「まってくれ〜!!!」

初め私は何かの冗談かと思い笑いそうになりましたが、

河内の叫び声が切羽詰まった声だったので驚きました。

彼は息を切らしながら私の前に立ちました。

「どうしたんだよ。」

私は彼が異常なぐらいに慌ている理由を尋ねました。

「・・・・いや。・・・別に」

彼は歯切れ悪そうに、何もない様子を装いながら答えました。

しかし、どう見ても普通ではない。


「さくら、さくら、さくら。」


彼と住んでいる猫の名前を呪文のように叫びました。

「・・・・・もしかして、その為に走ってきたのか????」

部屋には彼女はいませんでした。

部屋で酒を河内と飲みながら、私はそうまでして猫の名前を

呼ぶ理由を聞きたかったのですが、なかなか切り出せず他愛も無い話を続けていました。

そろそろアルコールが二人の男の脳味噌を汚染してきた頃、

いままで疑問に思っていた事を酒の力をかりて彼にぶつけて見ました。


「どうして、いつもドアを開ける時に猫の名前を呼ぶんだよ!」と。


河内は私の顔見ました。

・・・・沈黙。

息を吐くような感じで「う〜ん」と唸り・・・再び私の顔をみました。

「この話・・・今まで誰も信じてくれなかったんだけどさ・・・・」

河内は泡が抜けた状態になっているビールが入ったコップを掴むと

一息に飲み干し、不思議な体験談を語りだしました。

あっちの世界ゾーンを・・・・・・・。


河内の実家は福井県で農家を営んでいます。

家は旧家で炊事場には大きな竈(カマド)があったとか・・・・

大きな竈がある炊事場なんて私には映像が思い浮かばないのですが、

旧家という響きが異常に似合う家だという事は違和感無く想像できました。


彼が小学校2年生だったある秋の日の夕方。

学校から帰ってきた彼は家族に見つからないようにゆっくりと部屋に入っていきました。

と、言うのも秋は農家にとって大変忙しい季節です。

もし見つかれば必ず刈入れ等の手伝いをさせられるからです。

今日は何故か誰も居ないので、家族に見つかる前に遊びに行こうと思いました。

「ガタ、ガタ、ガタ、ガタ」

炊事場から何かが動いている音がする事に気付きました。


河内の家には一匹の大きな黒猫がいました。

「さくら」と呼ばれる白と黒のまだら猫は、彼が生まれる前からこの家にいました。

おばあちゃんが言うにはいつのまにか家族の一員になっていたそうです。

彼にとって「さくら」は兄弟のような存在でした。

「さくら」は自分から河内に甘えてくる事は無いのですが

河内が怒られて泣いている時や寂しい時などは、必ず「さくら」がいつのまにか

彼の横でちょこんと座り、彼を慰める様に優しい目で見詰めていたそうです。

彼は「さくら」に勇気づけられていました。

彼はいつも「さくら」に見守られているような気がしていました。

さくらの日課は朝いつのまにか外に出て夕方に帰ってくること。

不思議なことに、あまり外で歩いているさくらを見かけた事がありませんでした。

・・・・いつもどこに行っているんだろう???

彼は不思議に思っていたそうです。

炊事場の勝手口の下にある数センチの隙間が彼女の出入り口でした。

だから、今、炊事場からガタガタガタと聞こえてくる音も、

さくらの仕業だと言う事はすぐに想像ができました。


彼はある悪戯を思い付きました。

さくらを脅かしてやろうと思ったのです。


さくらに気づかれない様に廊下をゆっくり進んでいきました。

数十秒後には、廊下と炊事場を隔てる襖(ふすま)の前に仁王立ちになる河内がいました。

襖の向こう側からは相変わらずガタガタガタと音が聞こえています。


「にゃ〜」


さくらの鳴き声です。

・・・やっぱりそこにはさくらが居るようです。

彼はさくらが驚く様子を想像して微笑みを浮かべました。

彼は其処に何時ものようにさくらが居ると思い込んでいました。


「うぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


叫びながら襖を力強く開きました。


が・・・・・


そこには信じられないものが・・・・・

そこにいるのは確かにさくらでした、が・・・

さくらが立っていたのです。

二本足で!!

・・・・猫背でした。


さくらは驚いた顔をしていました。

河内は、いま想像も出来なかった事が目の前で起こっているために

身体が固まり、ただただ、さくらを見つめていました。

さくらはまるで人間のように罰悪そうな顔をすると、

と、と、と、と、と、・・・と、

彼を見つめたまま、そのまま二本足で立ったまま、後ろ歩きで大きな竈の陰に隠れて行きました。

彼の視界から消えていきました。

恐怖はありませんでした。

その仕草があまりにも可愛かったので恐怖はぜんぜん感じなかったのですが、

ただ、見てはいけないものを見てしまったような気持ちがだんだん大きくなっていきました。


「 後 悔 」


彼の考えは正しかったようです。

その日からさくらが家に帰ってくる事はなかったのです。


自分のせいでさくらが居なくなったと悩みました。

悲しみました。

「猫は死が近づくと誰も知らない場所に行くんだよ。」と家族は慰めてくれましが、

河内には、さくらが人間には見せてはいけない姿を、

彼に見られてしまった為に河内家から去っていた事が分かっていました。




「なぜそうだと確信したんだ???」

私は生ぬるくなったビールを河内のコップに注ぎながら尋ねました。

「・・・・さくらが居なくなった日の夜夢を見たんだ。・・・

人間の姿をしたさくらが夢の中に現れてさ・・・笑いながら、

「今までありがう、そしてさようなら。これからは影から皆を守るよ」・・てさぁ。」



彼は悲しかった思いを二度と繰り返したくないために、

今でも部屋に入る時は、猫に入ることを知らせてからドアを開けるようにしていたのです。

彼女に「さくら」と同じ名前をつけて。


その話を聞いてから十年あまりが立ちました。

今では二児の父親になった河内は、子供たちにこの話をしました。

話を聞いた子供たちは、河内の教えを守り、「猫」に合図をしてから部屋のドアを開けているのです。

かならず猫の名前を扉の前で呼んで・・・・・・。


これからも、この話は「河内家の家訓」として語られていくのでしようね。

























































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