あっちの世界ゾ〜ン第八十六夜「矛盾」

I.K.Aさん談




はじめまして。

いつも楽しませていただいておりますお礼に、

怖くはないのですが不思議に思う記憶についてひとつ、聞いていただきたくて。

チビの頃、祖父母の家に預けられたときの話です。


私には幼い頃、母方の祖父母の家がある岡山県の山奥に、しばらく預けられた時期がありました。

本人としては、じじばばが傍にいたけど、そういえばとーちゃんかーちゃんが

いなかったなぁという程度にしか記憶に残っておりません。

ちょうど「かわいいお嬢ちゃん」から「クソガキ」へと変化を迎え始める年頃、

私は覚えたてのあらゆる言語を無作為に脳いっぱいに詰め込んでおりました。

そのせいかどうか今はメモリがほとんど無いようで・・・、それはさておき、

その頃の私は、祖母に「ごはん出来たからおじぃちゃん呼んどいで」と言われれば

「くそじじぃ〜〜〜 メシじゃあー!」などと声を張り上げ、

初孫という立場および祖父母の寛大さをそれと知らず存分に味わっておりました。

従兄弟どころか近所(半径1k以内)に家(無人含む)も少ない山の中、

子供も若人もいない田舎での私の唯一の遊び相手は妹でした。

彼女も、世間の年少者のご多分に漏れず、いつも姉である私の後をくっついて回る金魚のフンでした。

私が「じじぃ」「ばばー」に加えて「くそ」などの前置詞を使うと、

妹もコロコロ笑い転げるため、幼い私はますます調子に乗りまくり、

汚い言葉と見知らぬ山道を妹と二人で模索する日々を送った記憶がやけに明確な今日この頃です。


ある矛盾が判明致したのは、数年前 祖父との思い出話を母に語った折でした。

祖父の記憶があまりに明確であったため、

私は祖父が亡くなったのは自分が3歳を迎えてすぐのことだとは永年知らなかったのです。


矛盾。私と妹とは、ほぼキッカリ3歳違いなのです。


なぜ私が幼い時期に数ヶ月も母と離れて田舎へ預けられていたか。

それは母が妹の出産を間近に控え、

二人目の子供は父のいる大阪で出産することになったためだったそうです。


怖い話でも何でもありません。

ただ、母や祖母の記憶にさえ、従兄弟も無く今も昔も人口少なくじじばばしか

住んでいない田舎で、私が誰を相手に日々走り回っていたか、わからずじまいです。

いま思えば、妙な記憶に思い当たらなくもありません。

私はいわゆるおじいちゃんっ子でしたが、祖父と「妹」が一緒にいた記憶が

(当然ながら)まったく無く、また、食卓に祖父母と私が並んだ

席の配置は思い出せても、「妹」がどの位置にいたか、感覚がよみがえりません。

幼い日々を過ごした岡山の、いろんな場面で「妹」が現れてくるにも関わらず、

祖父が亡くなり3歳にして火葬場で泣き喚いていた私の強烈な記憶にも、

見知った顔は傍の母と祖母しか登場しません。

奥深い山で遊んだ幼い記憶に、

なぜ祖父母がなく「妹」しか現れないのか、それも不思議といえば不思議です。

3年離れているはずの妹が、幼い私とも ほとんど対等に行動していた記憶があります。


いちばん不思議なのは、大阪でパンツ一枚でよちよち私と友人の後を追いかけてきた妹に関する

記憶が「ク@ジジィ」と叫んで笑い転げていた時期よりずっとあととしてソートされている矛盾に、


私自身が長い間気付かなかったことです。







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