あっちの世界ゾ〜ン第四夜「まぁちゃんさんへ」

大阪の平野のねえちゃんやねんさん談


まぁちゃんさん、何と申し上げてよいのやら・・・

実は私も、高校2年になる4月に、当時、親友と呼べる

友人2人のうちの一人が亡くなりました。ガンでした。

彼女が逝ってしまった時、私は東京まで留学の試験を受けに行ってて、

一次が通ったので、翌日の二次試験のため、そのまま残らないといけなかったんですが、

一次合格の連絡を家に入れたところ、母が泣いていて、

彼女が亡くなったことを知らされました。

母が彼女の訃報を知ったのは、

彼女のために編んでいたベストを届けに行った時だそうです。

2年ほど、入退院を繰り返していた彼女のために、母はベストを編んでいたんです。

母には恐らく私同様、霊感とまでは行かないまでも、

何か不思議な力というか勘みたいなのがあるんでしょう。

そのベストを編んであげると約束してから、すんなりプレゼントすることができた人は、

みんなどんなに病状が重くても、不思議と回復して、元気に社会復帰もされるんです。

でも、何かしらの原因ですぐに編み始められなかったり、編み上げても持っていくことが

できなかったりした人は、必ずどんなに病状が軽くても亡くなられるんです。

母は、その年が明けてから、ずっとずっと気にかけてたようです。

「ベストが仕上がらない」と。

いつもの不吉なジンクスが母の胸をよぎっていたのだと思います。


私が叔母に付き添われて、東京に試験を受けに行っている間に、

母は何かを感じたのかもしれません。徹夜して編み上げたのだそうです。

それを持って、彼女の家に行った母に、彼女のお父さんは

「一足、遅かったです。今、連れて帰って来ました。

このベストを着せて送ってやります」と言われたそうです。

母は「ああ、やっぱり。私がもっと早く編んでいれば」と思ったと言ってました。

母は泣きながら家に帰り、私に連絡しようとしていたところへ私が電話をしたようでした。

不思議と、その時は涙も出ませんでした。

ただただ信じられないという想いと、

明日のお葬式に出られない、どうしようという想いだけでした。

そのまま帰ってもよかったのでしょうが、

なんとなく、それは彼女が望まないだろうという気がしました。

というのも、中学から、大阪でもトップといわれる進学校のトップクラスに進学したものの、

高校に上がってからは成績が落ち、スランプでした。

その留学の試験というのは、心機一転、

やり直すためのきっかけのようなものだったのです。

翌日、英語の面接の時に、面接官の外人が友人のことを

教えてくれという質問をしてきた時に、急に涙が溢れて面接官を驚かせました。

事情を説明し、まもなくお葬式が始まるが、どんなに急いでも

間に合わないであろうことを泣きながら話す私に彼らは静かに諭すように言ってくれました。

「きっと、彼女はあなたが試験を放棄して帰らなかったことを誇りに思い、

たとえ最後のお別れができなくとも怒りはしないよ。でも、早く帰ってあげなさい」

最後の面接を終えて急いで帰りました。

新幹線の中ではずっと泣いていたような気がします。

家に着くと、お数珠だけを持って彼女の家に行きました。

彼女はもういませんでした。

留守番をしている近所の方にお寺を教えてもらい、そちらに向かいました。

彼女のお父さんが「ついさっき火葬場に連れていったから、もう少ししたら迎えにいくけど、

来てもらわない方がいい。来週の初七日に会いに来てやって」と言われました。

必ず伺うと約束して、その日は家に帰りました。

翌日、留学の試験に合格したという連絡が入りました。

ただし、留学先は第一希望のイギリスではなく

第二希望のカナダになったので両親と相談の上、返事がほしいとのこと。

もともと通るはずなどないと思って受けに行った試験でしたが、

受かってみると、どうしても行きたくなります。

両親も最初は反対していたものの、叔母からどのような場所でどのような人がいて

どんな待遇だったのかを聞き、行かせるだけの値打ちがあると判断したようです。が、

何かがひっかかりました。何かが。


限られた時間内でありとあらゆる資料を集めました。

メリット・デメリット両方を検討しました。それでも、まだ何かがやっぱり引っかかるのです。

最後に両親は今まで何度かお世話になったことのある霊能者二人のところに行きました。

最初、二人とも話を聞いた段階では、何が何でも行かせることを薦めたそうです。

一人は私のことを子供の頃から、よく気にかけて頂いてた方でしたので、

なおさら私ならやれると言ってくださったようです。

だけど、やっぱり何かを感じた二人の霊能者は

最後のお伺いのようなものをたててくれたそうです。

結果は予想外なものでした。

ふたりともなぜこんなお告げというか結果が出たのかわからいというふうだったそうです。

行けば、命に関わると言われました。

両親は聞かなければよかったという想いと聞いて

良かったという想いが入り乱れていたようです。

さまざまな情報を与えられ、あとは私自身がどう判断するのかという状態になりました。

もし、私が行くと決心して、

本当に命に関わるような状況になったとしても、両親は諦めると言ってくれました。

たった一人しかない子だから、親より先に死ぬ最大の親不孝は許せないけど、

やりたいこともやれずに後悔する人生を歩むのはもっと親不孝だと、

気がかりだった祖母も、人はいずれ死ぬのだから、死に目に会えなくても運命だし、

天国で会えるのだから自分の事は気にせずやりたいことをやれと言ってくれました。

そして、友人の初七日の日が来ました。

彼女の遺影の前に座った私は、どうすべきかを聞いてみました。

彼女は行くなと言ってるように思えました。

大変なことになるから、絶対に行ってはいけないと。

二度と家には帰れないと。

気が弱くなっていたのかもしれません。

でも、私は留学を断念しました。

それから、約半年後、もし留学していれば、今ごろカナダにいるというころでした。

急性腎炎にかかりました。かなりひどかったようです。学校も3ヶ月休学しました。

このことだったのかもしれないと、みんなが妙に納得したのは言うまでもありません。

更に不思議なのは、同じ頃、

もう一人の親友も重い病気にかかり、手術までしたのだそうです。

もし、私が振り切って留学していたら、

今ごろ、ここにはいなかったのかもしれないと、

亡くなった親友に感謝せずにはいられません。

以上です。


ちょっち暗いお話で、すいません。





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