あっちの世界ゾ〜ン第八十八夜「彼岸花」

命知らずさん談


先日から脳死による臓器移植が世間をにぎわせています。

一人の「人間」の死により、他の人間が生を得る。

れ自体は・・・素晴らしい事かもしれません。

少なくとも、誰かが、苦しんでいる人が、それも数人が、生き続ける機会を得る事が出来る。

ですが、私には心情的にどうしても割り切れないものがあるのです。

臓器移植ではなく、脳死を人の死とみなす事に対して。


私が中学生の頃、母方の祖母が亡くなりました。

祖母は数年前から脳死状態。

医師らの生命維持によって心臓だけが動いている、そう聞かされていました。

そして、ただ「生かされている」祖母の生命維持を止める事となったのです。

その日、私は機械を止めるのを、母や親戚達と共に見つめていました。

皆が一人ずつ祖母に別れを告げ、手を握っていきました。

母は泣いていました。

母だけではなく、祖母の娘・・・叔母達はみな泣いていました。

そして医師の宣告と共に機械が切られ、最後の別れをした瞬間・・・

祖母の左目から、涙がふたしずく、流れ落ちました。

瞼を閉じたまま、表情も変えず、その涙は頬を伝っていきました。

人は死後硬直すると、涙腺が締め付けられ残っていた水分が染み出てくる。

そういう話を聞いた事がありました。

しかし、その時祖母はまだ生きていた。

医学的な事は分からない。だが、祖母は生きていた。

そして泣いたのです。

例え脳死だろうと。

私はそんな祖母を見ても、涙は出ませんでした。

人の死というものがよく分からなかった。

年に何回か会っていたおばあちゃんが、もう二度と会えなくなる。

その程度の認識でした。

しかし葬儀で、棺に入った本当に死んでしまった祖母を見た時、

なぜか流れそうになる涙をこらえていました。


人が怒りや悲しみといった「感情」を抱く際、

脳内にはそれぞれの感情に合った化学物質が分泌されています。

それは可逆性のあるもので、化学物質を与えてやれば、

怒りや悲しみに似た感情を与える事が出来るとされています。

しかしだからといって、脳が働かなくなれば

意識や感情が無くなるのだと果たして言えるのでしょうか。

ひょっとしたら魂というものが存在していて、脳とはその受信機に過ぎないのかもしれない。

祖母の涙を見てから、私はそう考えるようになりました。


祖母が倒れてからの数年間で、医が仁術だけではない事を知りました。

残念ながら脳死は人の死として認定されつつある世相にあります。

ですが・・・

今年、私は祖母の墓参りに行きませんでした。

祖母が亡くなってから庭に植えた、一輪の黄色い彼岸花。

その花が今夏は咲かなかったのを見て、ふと、そんなことを思い出しました。





     戻る