新・あっちの世界ゾーン・第五十五夜「お婆捨て山」
信長波平さん談
今夜は大学に泊まり込みで..........めちゃくちゃ暇です! というワケでしばしの間、御静聴下さい。(怪談でなくても恐きゃいいんですよね?) お婆捨て山や身売り、それは貧困の中から生まれた生活の知恵だったのでしょうか? ある人曰く 『恐慌になると、金持ちはその財を失うが、貧しい人は心まで失う』 御存じの通り江戸時代の農民の生活は、 幕府の『百姓は生かさず殺さず』の政策と度重なる飢饉によって、困窮を極めておりました。 農民達のなかには、娘を遊廓に売ったり、赤子を殺したり、老人を山に捨てるたり、 いわゆる口減らしを行う者が増えてゆきました。 ある村に、与平という貧しい百姓がおりました。 与平の家族は、寝たきりの母親と嫁と子供6人を抱えていました。 その年は不作でどう考えても家族8人を食べさせることができませんでした。 そこで与平は生産能力のない寝たきりの母親を山に捨てる決心をしました。 ある日の朝母親を乳母車に乗せ、10才の息子と一緒に山へ向かいました。 山頂につき母親を置き、一目散に山を下りました...。 山を半分まで下ると、与平は息子がいないことに気が付きました。 どこではぐれたのかと思いながら再び山を上ると、 上から息子が空の乳母車を引きながら、降りてきます。 『お前なにしえるんだ?』と与平が尋ねると 『だって、この乳母車が無かったら、おっとうがじい様になった時、山さ連れていけね〜べ?』 と答えたとさ! |
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