あっちの世界ゾ〜ン第六十四夜「マヨイガ」

I.K.Aさん談


いつも楽しませていただいてます。

真性あっち話とは少し違うかもしれませんが、妙な体験をまたひとつ。


中3のゴールデンウィークに、母の郷里である岡山に帰省した折のことです。

以前こちらに少し書きこみました、妙な「妹の記憶」があるのもここでの話です。

山と田に囲まれた田舎ですぐに暇を持て余した私は

祖母の家で飼っていた犬を連れて散歩に行きました。

普段の散歩コースでは、お地蔵さまが3体おまつりされた

「あみださま」にさしかかります。

この阿弥陀さまは、広さが3畳ほどある出入り自由な薄いコンクリの

ワンルーム(?)で、散歩コースとは別の浅い山へ繋がる麓にあたります。

建物を挟むようにして表側と裏側に細い道が一本ずつ通っていて、

その道はすぐに少し奥深い山中へと続いていました。

奥深いとは言っても、土地自体もなだらかな山の中腹という感じで、

猟などでの遭難者が出るほどではありません。

建物を挟む道も実は山中で逆U字型にひとつに繋がっていて、

私も子供の頃から何度となくこの道を入り、山菜を取りに出ていました。

開けた明るい場所で、昼間ならそんなに暗くはありません。

阿弥陀さまで休んでいた私はなんとなくその山道が気になり、

時間つぶしに久しぶりに山に入ってみようかな・・・という気持ちになりました。

最後に山に入ってから半年ほどしか経っておらず、ひとりで行くのは

初めてでしたがよく見知った土地なので怖くも何ともありません。

万が一迷っても犬がいるしどうせ一本道だしとは思っていましたが、一応犬に

つられて変な獣道に入り込まないように気を付けながらプラプラ歩いていました。

そしてお約束のようにあっというまに後悔しました。


長くなりそうなので切ります。

のちほど続きも聞いてください・・・・。


っていうか引っ張っといて

あとで なんじゃこりゃ!って言われたらどうしよう (TT)


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それまではいつも阿弥陀さまの表側の道から山道に入っていました。

人ひとり通るのがやっとの道を20分ほど歩き、道なりに極端な右曲がりを迎えると、

逆U字形に回りこんだ山道が阿弥陀さまの裏側へと繋がって元の場所に戻れます。

山道の両脇は藪が激しく茂り、紛らわしい脇道などがなくその山自体も浅いのです。

その日、私は退屈凌ぎのつもりで初めて裏側の道から山道に入ってみました。

それがあっちの世界への連絡通路だとも知らずに・・・・。


30分ほどは経った頃でしょうか。知る限り聞く限り一本道であった筈の山道で、

鎖をつけていなかったお供の犬に見捨てられ、私はバッチリ迷ってました。

行けども行けども山道は緩やかな上り坂をまっすぐ一本続けるばかり、

どこまで歩いても左に曲がる筈の場所が見付けられなかったのです。

犬はあらぬ方向から唐突に現れ

私の様子を確認してはまた消える、を繰り返していました。

やがて道から迫り出した枝や蔦がやたらと服や顔に引っかかることに気付いた私は、

人の出入りが薄い道に入った!?と思い 瞬間パニックになりました。

しかし犬が近くにいることがわかっていたので変に強気になっていたのでしょう、

来た道戻りゃあいいものを、

何を意地になったのか山道を強引に「曲がろう」としたのです。

更にとぼけた事には、裏側の道から入ったなら本来左に曲がるべきところを、

私はいつもどおり右へ曲がろうともがいて右側の藪に飛び込んだのです。

人はそのようにしてこっち・・・いやあっち側へ近づくのでしょうか。

道なんか見えません。

上を向けば昼下がりの陽の光は感じるのですが空は見えません。

藪は羊歯などで足元の深さが見えず、私はずるずる〜と1メートルほど滑り落ち、

必死に傍の木に掴まって踏ん張ったところで却ってやっと我を取り戻しました。

我がアホっぷりを恥じ、

来た道引き返すべしと山道に戻ろうとした時、ふと気配を感じました。

風のさわさわという音が聞こえ、

見ると前方の細い木立の向こうに光が透けているのが判りました。

山の外に出れる!と思い、苦戦して必死で木立を少し掻き分けると、

ふっと気が抜けたような感じで(としか表現のしようのない感覚なのです)、

突然ばーっと視界が広がりハッとして面食らいました。


うぅ、長い・・・・こんなに引っ張ってどうしよう(TT)

書き終えたときの反応が恐いですが更に後半に続けます(TT)


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木立に寄り、まず目に飛び込んだのは一面に広がるススキです。


そこは四方を緑に囲まれた山間になっており、私の立つ足元の地面より

50センチほど下から一面に延々とススキの穂が広がっていました。

太陽はいつのまにか傾き始めていたようで、黄味を帯びた光に

ススキの穂がさわさわいいながら、まさに黄金色に揺れていました。


そのときの私はまさにあらゆる五感と思考が停止していたらしく、

今も風景は思い出せるのですが、それを見た感想というか感覚というか、

そういったものが何も浮かびません。

綺麗だし美しい・・・、でもそういうものとは少し違うような。


そのススキ野の向こう、200メートルほど奥の、広がる風景のど真ん中に

旧い家屋が、トン、という感じで置かれていました。

家屋の白い壁は本当に真っ白で、その白さは太陽を反射させると言うより、

うまく表現できないですが黄色い陽の光をスッと吸い込むような感じなのです。

豪奢ではなく、ゆったりと、「構える」とも少し違う・・・、

なんというか本当に、トン、と置かれたように収まっていたのです。

家というより、人の気配を全く断った「家屋」という言葉の方が近い気がします。

家屋の縁側がこちら(南)を向いており、玄関は東側、門はありませんでした。

縁側の雨戸はすべて開いており、縁側と室内は障子で区切られていて

障子が閉まっていたので中の様子はわかりませんでした。


そして家の縁側に面した庭には、橙色の実を下げた木が一本ありました。

それを見て初めて、あ みかんの木だ、と思いました。


その瞬間、縁側に見えていた障子のひとつが パキン!と隙間を開けたのです。

10センチにも満たないほどの隙間しょうか。ギクリとして硬直しました。

その様子が、たとえば鏡が割れるように、

一瞬にして柱と障子の間にヒビがはいったように感じられたのです。

いい感じはしませんでしたが、不吉だとも思いませんでした。

ただぼんやりと見惚れていたのだと思います。

家が隙間を開けたのは、

自分が見ていることを家人に知らせようとしたのだと考えました。

この時 初めて「家」という感じがしました。

くーっと頭を巡らせて、家屋へ続く道を探しました。

しかし足元からは背の高いススキが続くばかりで、降りれそうもありません。

家の玄関先へは、向こう側の山の方から道らしきものが続いていました。

玄関先と庭には、よく見るとススキではなく草が青々と繁っていました。


ハッとして足元を見ると、右隣に私を見捨てた犬がいつのまにか来ていて、

じっと家の方を見ていました。

私は犬に声をかけ、そのまま元来た山道に戻りました。

風がススキを揺らす音は聞いていましたが、家を振りかえる気にはなれませんでした。


山道を下ると、阿弥陀さまの裏手に出ました。

もともと入っていった側の道です。

とくに不安に駆られていたわけでもなかったのに、

やはり何故かほっとして、犬と連れ立って祖母の家に帰りました。

散歩に出てから一時間ほどしか経っていないようでした。

太陽はまだ高く、初夏の山にはススキもみかんも見当たりませんでした。


その日は午後をどう過ごしたかよく覚えていません。

なんというか、夕方まで寝ていたのですが感情や感覚が記憶に残っていないのです。

私の意識としてリアルに蘇るのは みかんだ と思ったこと、

風の音がとにかく澄んでいて美しかったこと、

家を振りかえる気になれなかったことくらいです。

家の障子が開いたときに思ったことは、

なんだか付け加えられた感覚のようで、なんとなく馴染みません。

記憶に残る風景の美しさは、桃源郷というより水墨画のような印象です。


夕飯の後で祖母に、どこを散歩してそんなに疲れたのか

というようなことを聞かれました。

犬は元気だったようです。

私は、阿弥陀さまの辺りの山で知らない場所に出た と言いました。

あの山の方に人家はあるかと聞くと、

山を越えればあるけど、そんなところには歩いては行けない、


山に家があればそれはマヨイガだ と言われました。





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実は私はつい最近まで「迷い家」のことを知りませんでした。

マヨイガを「迷い蛾」と思っていたのです、

山に現れて人を惑わす妖怪系の蛾かと・・・(爆)

遠野物語に迷い家というものが出てると知って、

初めて祖母の言っていたのは蛾ではなく家だとわかりました。


家屋には近づかなかった(近づけなかった?)のですが、

行きたい気持ちも行きたくないのに行ってしまいそうな気持ちも

ものすごくあったと思います。

ただ、リアルな感覚としては家屋・場所自体にはほんとに何の感情も感覚もなく、

妙な映像が思い出として記憶に残る限りです。

だからほんとは、怖かったとか不思議だったとかなんでやねんとか、

いっぱい言いたいのですがどれも言葉がぴったり当て嵌められなくてもどかしい・・・


阿弥陀さまの道にはあれからも入りましたが、表から行こうが裏から行こうが

時間を失ったり迷ったりしたのは結局あれきりでした。

脇道どころか、よくあんな藪に飛びこんだものだと思います。

私はどこに行こうとしてたんでしょうね。


長いのを読んでくださった皆様には ありがとうございました。







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