あっちの世界ゾ〜ン第五十壱夜「城山の石仏・弐〜最終章」

真面目な公務員さん談


心霊写真に興味ある人は一度は撮ってみたいと思うものです。

そういうことを考えたり、想像したり、話し合ったりすることは

とてもワクワクして楽しいものです。

しかし、残念ながら本当に撮ったあとその人は必ず後悔することでしょう。

撮れてよかったと思う人はいないと確信します。

普通の写真とはまったく違う雰囲気を持つ写真を実際に目のあたりにしたときの心の動揺。

ショック。つまり傍観者ではなく、

当事者となってしまったその立場に少なからず動揺するのです。


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「城山の石仏2」

平成11年1月8日午前7時に偶然に撮ってしまった1枚の写真。

その写真に写っていた石仏には、文字が刻まれていた。

うら覚えだが確か「大日如来」とあった。

ちなみに、その石仏の右側の石仏には

「弥勒菩薩」とあった。

この「弥勒菩薩」には記憶として確信があるが、

「大日如来」の方は確信がない。

確かめたいとは思っているが、

あれ以来2度とそこに行ってはいないしこれからも行くつもりはない。

かといって、誰かにお願いする気もない。

A4サイズで印刷した写真の中央に写っている「大日如来」様。

輪郭はちょうど万年筆のペン先の形をしている。

立像である。

白っぽい苔が石仏全体に斑状に付着しておりそこそこの古さを感じさせる。

柔和な顔立ち。

しかし、その石仏の周囲には、青白いもや、あるいは煙り状とでもいおうか、

いみじくも第1話で私の子供たちが煙草の煙だといって信じなかったが

第三者に文字で伝えうる最適な表現は「紫煙のごとく」とでも言っておこう。

しかし、その煙の形がおかしいのである。

「大日如来」様を丸く囲むようにして、

なおかつ「大日如来」様にはほとんどその煙は掛からない。

下から沸き上がるように、そして方々に枝を伸ばしている。

その煙の枝の形、忘れられない。

チリチリとした感じで、

先端まではっきりと形が残りまるで、タコの足のように生きているような・・・。

そんな感じである。

そして、その煙の中、まず左下付近人の顔、左を向いている。

色は少し薄茶っぽい。

鼻が大きい。男である。

不思議なことに額まではわかるが頭部は確認できない。

目はつり目で白まなこは確認できない。

私の直感を言うなら、野武士みたいな雰囲気を持っている。

映画7人の侍の三船敏郎を思い出してもらいたい。

だが、殺気は感じられない。

ただ、ボーっとしている。

その上方、つまり画面左上には、獣のイノシシが写っている。

写り方としては、上記人面より薄い。

だから、最初私は気がつかなかったのだ。

大きさは、人面より2倍ほど大きい。

顔を中心にこちらを向いている。

少し殺気が感じられる。

石仏足元付近にも、人の顔、小さいがハッキリしている。

埴輪の顔ような形をしている。

悲しそうである。

その、右下には猿が写っている。

これも、ハッキリしている。

しかし、職場の何人かは、どんなに見せて説明しても認識してくれなかった。

不思議である。

日本猿というよりやけに鼻筋が長い。風貌としてはヒヒに近い。

妙に無表情である。

もう1体人の顔が写っていたが忘れかけている。

確か、イノシシの側だったと思ったんだが・・・。

石仏の右側草むら付近には、目玉だけが無数に写っている。

黒色で凹っている。単なる黒の凹凹じゃないか、と言われるかもしれない。

しかし、違う。なぜなら、不気味なのだ。

全身が凍るような不気味さが、得体の知れなさがある。

以上が、この写真の全貌である。


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「城山の石仏・参」


城山は子供時代から慣れ親しんだ山である。

秘密の隠れ家を作ったりして遊んでいたものだ。

しかし、今は恐怖の山である。

デジカメで写真を撮ったあの日の早朝。

そしてその日、職場で印刷してみて、あまりの異様さに驚いたこと。

1話と2話で書いた。

その時以来、私の背中は常にゾクゾクしていた。

私は、本能的に1人では、背負えないと感じたのだろう。

職場の連中に手当たり次第にその写真を見せ、話し、

最後にその写真をそいつらに撫で付けた。

もちろん、表面的にはジョークとしてである。

しかし、次の週、その写真をまじまじと見た連中のほとんどは、

重傷の風邪にかかり2,3日から1週間ぐらい職場を休んでしまったのである。

私は、その当時残業が続いていた。

しかも、ほとんど1人で。

机に座って右側の7m位の所に窓がある。

夜の窓は黒い。

どうしても感じるのである。

その方向からの何かを。

体は、敏感に反応し背中がゾクゾクしてくる。

正直、仕事どころではない。

「塩だ、塩はないかな。」

とにかく体を清め振り払いたかった。

方々探して、やっと見つけた。

私は、自分の机に座るや、

頭から振り掛けた。

背広にも、足元にも、そしてパソコンにも。

その塩は、「味塩」だったが塩は塩だ。

ないよりましという気持ちだった。

心が静まるまで「南無阿弥陀仏」と唱えつづける。

しばらくすると、体がスッとしてくる。

それから、仕事をするという、毎日だった。

残業は毎晩夜10時頃までしていた。

終わったらタイムカードを押して、

通用口を通り自分の車まで行くのだが車までの30mは、真っ暗闇であった。

いやな感じを抱きつつ車に乗り込み、サイドミラーやバックミラーは決して見ない。

前のみ見詰め車を走らせた。

そんな事が何日も続き、

ちっとも精神的に安定しないのでどうしたらいいものか、思いあぐねていた。

ある日、ふと思ってある人の所へいった。

その人は城山の石垣復元工事等の担当者で、以前から、よく知る人物である。

私は、小声で尋ねた。

「ちょっと、つかぬこと聞くけど、あの城山のことなんだけど。

工事中に何か変わったこととかなかった?」

彼は怪訝な顔をしていった。

「どういうこと?」

私は言った。

「つまり、事故とか」

彼は小さな声で答えた。

「あったもなにも、いろいろありすぎてね」

彼の話はこうだった。

山の上から石が転げ落ちて建物に当たりそうになった。

人夫の何人かが怪我をした。

作業用のトラックが谷に落ちた。

あまりにも事故が多いのでお払いを2回もした、などなど。

なお、作業のなかで石仏を移動していたという。

それまで、まったく知らない事実だった。

一通り話を聞いた後、私は写真の話をした。

彼は複雑な表情をしていた。

それから、仕事柄城山に関係していそうな複数の人物から話を聞いた。

ある人は、体調を崩し数ヶ月間病院通いを余儀なくされまたある人は、入院までしていた。

すべて石垣工事、及びそれに伴う発掘調査をしている最中である。

また、それから程なくして偶然もう一人の人物と出会った。

60代後半の郷土史家だった。

私は率直に写真の話をした後尋ねた。

今までは、気にもしていなかったが、なぜあの山には、あんなに沢山の石仏があるのか。

どういう、いわれがあるのか、など。

彼は答えは、次のようなものだった。

あの山の石仏は、四国霊場を真似て据えられている。

だから、必ず第何番とか書いてあるはずだ。

時代は明治、天草の石が使われている。

あまり上質の石ではないから、劣化が激しい。

宗教的には、真言宗が関係している。

石仏の真下には、高野山の土がお経とともに埋められている。

しかし、城山全体を祭ってある祠は、弘法大師が祭られている。

過去、いろいろなことがあったらしい。

石仏は、いろいろな人たちが城山に据えたものだが、その理由はわからない、など。

そして、最後にこう言った。

「実は、発掘調査に行ったとき、私は、頭の血管が切れて倒れました。

そして、いっしょに調査をした***さんは不慮の事故で亡くなりました。」

私は、言葉がなかった。

最後に私は、発掘調査の担当者に話を聞いた。

「実はこういう事があったんだ。なんでもいいから、教えてくれない?」

すると、彼はこう言った。

「実は、発掘調査をしていたとき、奇妙な木片が出てきたんです。

その木片には、畜生道と書かれていました」

いったいなんなんだ、この山は。

謎は深まるばかりだった。

何かがある。

この山には、誰も知らない隠された歴史がある。

城山の周囲のほんの狭い範囲に

ざっと数えただけで7寺院があることも何か関係があるのだろうか。

現在、城山は公園化され奇麗である。

公園化されるにあたって、当然山には人の手が加えられた。

その中で、長年静かに眠っていた石仏の一部は勝手に移動されたのである。

「大日如来」などの石仏の周りには救いを求める霊が寄ってくるという。

また、動物霊が写っている写真はあまりいい写真ではないということを後で聞いた。

8ヶ月たった今、家の後ろの川土手にたたずみ

緑豊かな城山を見上げれば、あの写真を撮った場所が見える。

もう、二度とそこに行くことはないだろう。


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皆様、ご感想ありがとうございます。

私は、生まれてから平成10年11月まで心霊体験とは無縁でした。

実は、「城山の石仏」事件の約1ヶ月前に実に奇妙な体験をしています。

この体験が、「あっちの世界」に遭遇した初めての体験でした。

また、「城山の石仏」で書き足りなかったこともあります。

ここでは、それらを思い出しながら書かせていただきます。


「城山の石仏 エピソード1」


あれは、去年、つまり平成10年12月始めのことだった。

その日は、仕事が終わってから忘年会があった。

2次会、3次会と回り夜中の1時前位に家に辿り着いた。

酒に酔って、本当に気持ちがいいばかりだった。

玄関を開けるとそこには愛犬が待っていた。

ビーグル系雑種のメスでハナ(当時1歳)という。

「よしよし、ハナいたな。おしっこしようか」

私はそう呼びかけると手綱を解き放った。

ハナは、とてもおとなしくて人なつっこい。

人に向かって吠えることなどまずない。

猫や他の動物に対しても同様である。

どちらかと言うと臆病な犬である。

その当時、私はどんなに夜遅く帰ろうと必ずハナを散歩させていた。

我が家の隣の家には父母が住んでいる。

そこには、サリーというメスの5歳の雑種犬がいる。

たまたま、父母は所用で不在である。

サリーは夜いつもその家の中で眠っている。

私は、勝手口からサリーを呼んだ。

しっぽを振って勢いよく出てきた。

「サリーもおしっこするぞ」

サリーは、父がとても厳しく躾ていた。

気はハナより荒いが賢く人の言うことをよく聞く犬である。

2匹は、勢いよく並んで家の裏の川土手に飛び出していった。

外は寒かったが気持ちよかった。

私も川土手に立った。

左手には、50m位の長さの橋が架かっている。

橋脚は2本。

橋の両脇には、水銀灯があり辺りを赤黒く照らしている。

私が立った川土手には河原に降りられるように階段があった。

いつも、ここを降りて犬におしっこやうんちをさせそして、遊んでやっていた。

時間は夜中のちょうど1時だった。

犬2匹といっしょに河原に降りた。

辺りは薄暗く、またシーンとしていた。

「ほら、おしっこしろ」

寒かったので、早くおしっこさせて引き上げようと思っていた。

ふとハナ見ると様子がおかしい。

少し内にこもるように唸りながら、4本の足を突っ張っている。

左手の橋を見ながら。

程なく、雄叫びをあげ始めた。

「ワンワン、ウヲーーーーー。ワンワン、ウヲーーーーー」

私は、驚いた。

こんな歯をむき出して雄叫びをあげるハナを見たのは初めてだったからだ。

続いて、サリーもハナに並んで雄叫びをあげ始めた。

「おい、おまえたち、どうしたんだ。やめい。やめんか」

いくら制止しても、2匹の犬は1点を見つめたまま身じろぎもせず、吠え続けた。

夜の静けさの中に犬の殺気だった雄叫びが響きわたった。

2匹の犬が吠えている方向は左手の橋である。

私は、オス犬か或いは猫が

橋の上をうろちょろしているのではと思いじっと凝視した。

橋までの距離は30m位だ。

しかし、それらしき気配は感じられない。

もう一度見る。

「いないな」

2匹の犬は、吠える勢いを増してまるで狂ったみたいに吠え続ける。

もう、10分以上たっただろうか。

「おかしい、こんなに吠えるなんて」

私は、もう一度橋の欄干辺りを右から左へ嘗め回すように凝視した。

なにもいない。

ふと、視線を右側の橋脚にそって川面まで落とした。

「なんだ、ありゃ」

この寒い12月、川に人らしきものがいる。

しかし、よく見えない。

私は、眼鏡に手をやり摘まみながら少し上下に動かしてみた。

やっぱりわからない。

「魚取りでもしてるのかな。しかし、妙だな」

それは、確かに人位の大きさである。

しかし、どんなによく見ても手とか足とか確認できないのである。

それに川面の付近はかすかに水銀灯の明かりが届く程度なのに

その人らしいものは、白いのだ。

ぼーっと、白い。

「黒いシルエットならわかるが、あんな暗いところでなんで白いんだろ」

その白さが、また不思議である。

光ってはいないが、白くぼーっと見える感じである。

何かがいることは間違いない。

犬たちが吠えていたのはあれに違いない。

その物体は、右側の橋脚の右側の川面にいた。

そして、左に移動している。

橋脚の部分で隠れ、そして現れた。

「橋のちょっと向こう側にいるのか」

私は酒に酔っていたが、泥酔ではない。

スカッと酔っている感じだった。

「どう見ても、わからん。わからないわけがない。

あれが、何か突き止めてやる」

そう思って、私は1歩2歩とその方向へ進んだ。

10mは進んだだろう。

白い物体との距離は約20mである。

凝視した。とにかく凝視した。

しかし、わからない。

「くそっ」

眼鏡で1.5の視力を振り絞り首を前方へ突き出した。

その白い物体の正体を突き止めたい一心だった。

しかし、20mまで近づいた時、初めて私の心に恐怖心が芽生えた。

白くボーッとした人位の大きさのその物体が私のほうに向かってくるではないか。

どんどん近づいてくるのに無音である。

川を歩いているのに水の音が聞こえないのである。

それは、どんなに近づいても、まったく輪郭さえもはっきりしない、

得体の知れないものだった。

「やばい」

直感的にそう思った。

もう人間でないことだけは確かである。

私は、もう素面だった。

逃げないとやばい。

そう思い吠え続ける犬たちに向かって大声で怒鳴るように叫んだ。

「やめー、ハナ、サリー、行くぞ、行くぞ。カモンハナ、カモンサリー」

しかし、犬たちは、必死に吠えまくっている。

白い物体はどんどん近づいてくる。

「いかん」

私は、2匹の手綱を強引に引っ張り階段を駆け上がった。

そのまま、サリーを父母の家に押し込みハナと私は逃げ帰った。

玄関のドアを閉めたときは緊張と恐怖で目は見開き、肩で息をしていた。

そして私は、炬燵に潜り込みじっとしていた。

別棟に1匹残されたサリーはその後約1時間狂ったように家の中から吠え狂っていた。

私は、幻を見たのだろうか。

しかし、犬たちのあの異常さはなんと説明する。

頭の中は、取りとめなくグルグルと回っていた。

そして、私はいつの間にか深い眠りに就いていたのである。


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「城山の石仏 エピソード2」


エピソード1で書いたことは城山の石仏とは直接関係のない出来事である。

しかし、私自身初めて心霊的なものを見た、

体験したと言う意味において複線になっていると思う。

白くボーっとした物体は何だったのか。

今でもよく分からないが、私は、その時もいろんな機会を利用して随分聞き込みをした。

しかし、城山の石仏の時と違って、そう、真剣にやったほうではない。

また、関係ありそうな話も単に偶然としか受け止めなかった。


曰く、あの橋の近くの河原は、昔、処刑場だった。

曰く、あの橋の近くで10数年前入水自殺があった、など。


あの出来事自体はすごく恐いものがあったが、

当時酒を飲んでいたこともあり、後から思い出しても自分自身半信半疑だった。


そして、1ヶ月後「城山の石仏」事件である。

噂は、職場にあっという間に広がり

私のパソコンに取り込んでいる写真を見せてくれという人が引きもきらなかった。

そのたびに、簡単な操作の方法を教えて

私自身は、パソコンの裏側に回り決して見ることはなかった。

ある日、私は意を決して実験をすることにした。

それは、夜の職場で黒い窓を背景にデジカメで写真を撮るというものだった。

被写体は私の顔、その後ろは窓。

撮影者は私に無理矢理プリントアウトをさせたあの若い後輩である。

さらに、後輩には煙草を持たせデジカメの前で煙草をユラユラさせるのである。

その煙がどういう形で撮れるのかを見たかったのだ。

30枚位撮影した。

ほとんどの写真は煙がドッと顔半分を横切っていたりして

明らかに私が撮った写真の「紫煙」状のものとは違っていた。

ただ、そのうち2枚だけは妙な写真だった。

少し引き気味に撮影した写真で黒い窓が大きく写っている。

私は少し小さ目に中央下半分に上半身だけが写っている。

そこに煙草の煙がモアっと上がって右上の方に流れている。

窓の上角である。

そこで、煙は妙に舞っている。

そして、あの埴輪の顔が出ているのである。

私はプレビュー画面を見ながら後輩に言った。

「おい、ここおかしくはないか」

「そうですね」

「いかん、いかん。もうやめだ」

私は、意外な結果に冷汗が出で、その場で、撮った写真を消去してしまった。


平成11年2月3日叔父が急死した。

全く突然の死であった。

母の兄で、死因は不明である。

私は通夜に駆けつけ出棺のときは親族代表で挨拶もした。

そして、御焼香をしたとき不思議な体験をしたのである。

手を合わせ目を閉じた瞬間、私の目の前にパノラマが現れたのである。

通常、そういう時は「南無阿弥陀仏」と唱え頭の中は空っぽになるものである。

何も浮かばない。

しかし、この時だけは違った。

総天然色のまるでカラーテレビでも見ているような光景に出会ったのである。

私は、30m上空から俯瞰している。

そこに写っているものは、人である。

白装束で額に白鉢巻きを巻いている。

5,6人が1列となり、無数の人が山を登っている。

その列は、蛇のようにくねりながら延々と続いている。

山は、石ころだらけである。

木1本生えていない裸山なのだ。

私は心の中で「南無阿弥陀仏」と唱えつづけている。

人の表情は上から見ているからわからないのだが無表情のように見受けられる。

黙々と登っている。

しばらくして、急にそして急速に私の目はそこから遠ざかりはじめた。

ビューンという感じで。

すると、そこには、山の全体像が見えてきた。

すごいのである。

ちょうど、何と言ったらいいか

富士山の頂上は噴火によってちぎれているがその山は、

頂上が麓から一気に反りあがって尖っているのである。

とても美しい山だった。

総天然色の大パノラマ。

とにかく色がものすごく美しい。

私は感動してしまった。

「この光景はいったいなんだ」

そう思っても、画面は途切れることもなく、しっかり確実に写っていたのである。

時間にして、どれくらい経ったのか不明だ。

私は、われにかえった。

そして、大きく息を吐き出していた。


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「城山の石仏 終章」


叔父が急死し49日の法要が終わった。

季節はもう春である。

叔父の死以外は特に変わったことはなかった。

その後の私たち家族及び周辺の主な出来事を記す。

私は、4月の人事異動で係長になった。

妻はそれまでパートで勤めていた会社を辞め新たな会社に転職した。

6月、妻が交差点で出会い頭の交通事故を起こす。

軽自動車のフロントを大破。

妻に怪我はなし。ただし、しばらくの間精神的にショック状態となる。

7月、雨の降るある日の早朝、私の職場(今の職場は私を含め2人しかいない。)

の女性職員が軽自動車でバック中、自損事故。

リア部大破。リアガラスが完全に割れる。

その後病気で3週間入院手術。

7月のある日、あの写真を見た職場の後輩が

(シリーズの話中に出てくる後輩とは違う。)

自分の新車をバック中、自損事故。

あの写真を見たもう一人の別の後輩も自分の車でバック中、自損事故。

7月、父入院手術。

7月、妻が重度の夏風邪で4日間寝込む。

8月、その父が軽自動車でバック中、自損事故。

リア部大破。リアガラスが完全に割れる。

子供達は特に異常なし。

上に記したことは、単なる事実である。

ことさら「城山の石仏」と関連付けようとは思わない。

ただ、あの事件以来、このような事が、私の身の回りに起こったというに過ぎない。

考えれば、きりがないのである。

私自身この8ヶ月で何が変わったかと言うと、係長になった後パチンコに負けに

負け続け、20数年間続けてきたパチンコに別れを告げた。

また、妻が寝込んだことがきっかけで生まれて初めて炊事をやった。

これは今も続いている。

その他、妙に植物に関心がいって、

これも、生まれて初めてプランターでサルビアやマリーゴールドを育てている。

ことほどさように私は、ごく平凡に生活している。

今年の夏は、天候不順である。

雨ばかり降っている。

しかし、私が育てたサルビアやマリーゴールドは

青葉を繁らせ赤や黄の花をたわわに咲かせている。

追肥をやった成果である。

そして、よく見ると雨蛙がちょこんと乗っている。

私が顔を近づけると、少しピクンと動いた。

雨蛙の目に写る私は怪獣ゴジラに違いない。

怖がらせるつもりは毛頭ないのだが・・・・。

アリやカエルは人間とは生きる世界が違いすぎている。

彼らとコミュニケーションするのは至難の業だ。

私が体験したなかで出てきた「得体の知れないもの」達。

私は本能的にそれらとのコミュニケーションを拒否してきた。

接触するには勇気がいるのだ。

「恐怖」を克服しなければならない。

今の私にはその勇気はないのである。

人間は人間の世界でしか生きられない。

「得体のしれないもの」はその世界で静かに暮らしてほしいものである。




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