思い出していると気分が悪く眠れないので、少し長くなるが、書いておく。

弥太郎とは、Kの故郷の町の片隅にある、小さな神社の祭り神である。
(差障りがあるので場所は特定しない。)
近辺では、たとえば子供が駄々をこねたり、泣き続けたりすると、
親は今でも「弥太郎がくるぞ。」と、脅しつける。
すると、子供達はあまりの怖さにすぐに泣き止むと言う。
弥太郎という名は、親しみやすい愛称のようにも聞こえるが、「あざな」であって、
実は浮田弥太郎元家(この名も一部変更している。)という武士のことである。

戦国時代、毛利家の台頭によって、中国地方の隅々に
至るまで織田側との全面戦争の様相を呈していた時代である。
彼の故郷は寒村ではあったが、その例外ではない。
弥太郎元家は、織田側の前線指揮官でもあり、その地方の国主でもあった。
毛利家の勢力がもっとも中央と拮抗していたころである。
攻め手の激しさは尋常ではない。
弥太郎元家もよく耐え城を守ったが、結局負傷し敗退を余儀なくされた。
そして、身一つのようになって逃れたのが、現在神社のあるあたりである。
追っ手は執拗であった。
数人の農民が命をおどされ、逃げ場所を告げるよう迫られた。
弥太郎は、その声も手に取るように聞こえる藪の中で耐えていた。
が、しょせん農民である。命が惜しい。
声を出すのがはばかられた農民達は、
結局、その場所をあごでしゃくって教えてしまったのである。
つまり、彼等は自分達の領主を売ったのだ。
弥太郎は脚気を患っていて、逃げる身も思うようにまかせない。
たちまち捕らえられて、首をはねられ、晒された。
その時、自分の不自由な足を恨み、
村を呪って、怨念はその地に取り憑いたのである。
現在、そこにある弥太郎神社は、そのせいもあってか、
足の病気や怪我に霊験あらたかな場所として、
同じ苦しみを持った近場の人々がお参りにやって来ている。
そして、病気などが全快した人々は、
そこに松葉杖や車椅子を奉納して、弥太郎に感謝するのである。
小さな祠の前はそれらの物が山のように積み上げて祭られているという。
そこはよそ者にとっては、
小さな町の人々に親しまれた小さな神社にしかすぎない。 
が、当事者の子孫達には今だそんななまやさしいものではないのだ。
まず、あごでしゃくって意思表示をした人々は、
その後死ぬまで言葉がしゃべれなくなったという。
しかも、その子孫からは、口の不自由な子が次々と生まれてきた。
村人は、常に口を閉ざし、村からは永久に笑い声が消えた。
Kは、墨汁を流したように怨念のよどんだ、
深閑として底冷えのするその村で、彼らの子孫として生まれたのである。
彼の父親は彼が物心ついたときから常に語ってきた。
じいさんは、戦争で足を無くした。
お前のおじさんは、谷底へ落ちて左足が曲がってしまって歩けない。
私は若い頃、機械にはさまれて
このとおり足の指を全部もっていかれてしまった。
お前も、いつか受け入れなければならないのだ。
ひょっとしたら、死んでしまうかもしれない。だが、それも運命なのだ。
弥太郎様は必ず来る。お前に会いに来る。
それまで、できるだけ善行を積んでおくことだ…と。

二回目に同じ病室にKを尋ねたときである。

「おい、病室の外で聞こえないか。鎧のかち合う音が…。」

前回よりもずっと暗い顔をしたKが、神経質な声で聞いてきた。

「聞こえんな。」

「実は、ずっと聞こえるんだ。弥太郎がすぐ外にいるに違いない。

考えてみれば、弥太郎の祟りがこんな生易しいものとは思えない。

こんなのはかずり傷だ。」

「馬鹿な。」

「おやじがいった。弥太郎様が来ると。

俺は、まだ弥太郎を見ていない。弥太郎とまだ会っていないんだ。」

…Kと話を交わしたのは、実はこれが最後である。
その後すぐに治療もそこそこにして病室を引き払い、私や周りの付き合いの
ある者達になんの挨拶もないまま、家族を連れて田舎に帰ってしまったらしい。
なんでも、病室で一度刃物を持って、自分の足を傷つけるような
事件を起こしたことがあると聞いたが、噂にしか過ぎない。
弥太郎神社の風景は心象として私の中にあるが、実際に見たことはない。
Kがその後どのような人生を送っているのかも、強いて確かめようとも思わない。
その土地へ行く時間もないし、怖くもある。
ただ、向こうからはまったく連絡がない。そのままである。
その後、彼自身の松葉杖を弥太郎神社に奉納できたのならいいのだが…。

あの日、実は、私は鎧の擦れるような音を聞いている。
ただ最初は近くの工事現場の音かと思っていた。
後で見てみると、その病院の付近で工事をしている所などないのである。
そう言えば、病院からの帰り道、夏だと言うのに我慢できない
寒気が襲って来たのを、今でも昨日のことのように私は覚えている。


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「弥太郎(2)」投稿者:Ciel改め結城さん談

凄い恐かったです。末代まで祟るっていうのは、やっぱりあるんですね。
気になって当分引きずりそう(^^;

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う~む・・・・ 投稿者:いたこ28号

ドロドロしたイヤな話ですね。
土地や一族にまとわりつく呪縛系の話は何とも言えない怖さがありますよね。

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e: 弥太郎(2) 投稿者:Renさん談

日本の田舎の方に残る伝説には人知れず
こんな現実が残っているかも知れませんね。
地名でおどろおどろしいのあったりすると、昔話ではなく、
現在進行形で地元の人達に何かが起こっているかも...ぞぞぞぞぞー。